もやもやした時、すっきりしたい時、暇な時、優しくなりたい時、心を入れ替えたい時… 少し時間がある時に覗いてみてください。 きっと心に響くはず… ご覧になったあとは、ぜひ『足あと』をのこしてください。 妹がいる人もいない人も読んでみる価値あり。 そして、親戚…血のつながり…も考えさせられます。 親の心、子知らず 気づいた時には、時すでに遅し… あなたは「ありがとう」をいい忘れていませんか? 心のキレイな人は見えるはずです この御時世にも良い話はたくさんあります。 ぎすぎすした心や人を恨んだり憎んだり邪悪な心を持ちがちですが、もう少しゆったりかまえましょう。 自分のことばかりではなく人の気持ちも考えてみましょう。 何かのヒントになるかもしれません。 ある方から聞いた実話ですが、落ち込んだ時とか思い出しては勇気、元気をもらえるお話しを紹介します。 昭和20年終戦直後の事です。 当時21歳のある青年が爆弾処理をしていた時に爆発に会い、一瞬にして青年の両目はつぶれ、両手は吹き飛びました。 青年には当時、好きで結婚の約束をしていた女性ヒロちゃんと言う幼馴染がいたのです。 ヒロちゃんはたとえ青年が以前の姿でなくなっても「私があなたの目になります!手になります!」と言ってすがりました。 しかし青年はどう考えてもこんな自分では大好きなヒロちゃんを幸せにする事は出来ない・・・と「実は自分には他に好きな人ができて、その人と一緒になるから・・・」とウソをついてヒロちゃんから去って行ったのです。 目が見えない人は点字というものがあるけれど、この青年には その点字をなぞる手さえもないのです。 親が生きている間は親が目になり手になってくれるかもしれませんが、親が死んだらいったいどうやって生きていったのでしょうか? 平成18年、一昨年の朝5時半にドキュメントで西日本放送「生きる×2」というテレビ番組にその青年は80歳を超えたおじいさんとして出演していました。 ヒロさんと別れた直後は悲しみのどん底で本当に地獄だったそうです。 ヒロさんは、その後お見合いで結婚をして子供にも恵まれ、歳月が過ぎて60歳になった時、何気なくみたテレビにかつて愛した人を発見したのです。 その当時60歳のその人は大変な天文学の権威になり世界中の人と通信をする設備をして交信をしています。それから塾も開き、言葉だけを使って子供達に説明をして勉強を教えています。奇跡の人、すごい人という事で、テレビが取材をしていたものでした。結婚もすることなく一人で暮らしている事を知ったのです。 ヒロさんはすぐにその人のもとに走りました。 何がなんでも、行かずにいられなかったのです。 神様の思し召しでしょうか。 その時にはヒロさんのご主人は亡くなっており、子供さんはもう家庭を持っていたので、60歳になって初めて二人は一緒になれたのです。 今は二人は80歳を過ぎました。二人仲良く一日一日を大切に暮らして居ます。 おじいさんには今でもヒロさんの姿が20歳のままだそうです。毎日ヒロさんに「今日の体調はどうですか?元気ですか?」と聞いてくれるそうです。 そしておじいさんは、「自分は今大好きなヒロちゃんがいつも一緒に居てくれて本当に幸せです。」といわれていたそうです。 私はこの話を聞いて大変感動をしました。 おじいさんの同級生がインタビューで言っていた言葉にも泣かされました。 同級生が「お前、大変だったな〜!手が使えず、目が見えず不自由だったろう!と聞いたら、こいつ何て言ったと思います?『自分には心の目があるから!!!』って。そう言ったんだ。こいつは〜。。。。」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 私は言葉がでませんでした。涙がただただ出てきて・・・・すばらしい話だと思いました。 時々思い出しては、どんなに厳しい事があろうと、この人達に比べたら、まだまだと勇気づけてもらっています。 皆もこの話を聞くだけでどんなことも恐くないと思うような気になりませんか? 私の父方の祖父も47歳の若さで沖縄で戦死しました。玉砕だったと聞いています。 骨もなく少しの髪の毛だけが帰ってきました。 それも本当に祖父の物かどうかわかりませんが、本物と思いお墓に入れています。 マブニの丘と言う所に日本各県ごとに碑を建てていて、岡山県の碑に名前を彫って頂いております。 この男性は生かされましたが、もしかしたら、<死>以上の苦しみを与えられたかもしれません。 正直ゲスな考えをすれば、何も仕事とかしなくても国から過分な生活費が出ていると思いますが、やはりただ息をしているだけの生き方はこの男性には出来なかったのだと思います。 何かを見つけて、それを実行して、それが生きがいになってこそ、生きる意味があるのですよね。 <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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