2010年06月10日(木) 【No Title】 コメントがくるとは、思わない。けど、閲覧者に問いてみたい。 私の右手。 私の心。 先ずは、右手。 手術を10回以上かけて、まともに見える右手になった。そう、見えるだけ。 手としての機能は、半分無い。感覚が未だに無い部分が大半を占めている。 そこで思う。 この右手で得たもの・失ったもの。 自分で考えればわかるだろうと言うのが、大多数であることは承知だけれど、私は、私がわからない。 だから、自分で考えても得たもの・失ったものがわからない。 誰しもそうなのだろうか?違うだろう。 一般人は、自分の前に立ち上がっている壁をまわりに支えられながら、なおかつ自分の想いで乗り越えるか、破壊して前に進もうとする。私は、支えられてもいない。自分の想いもない。私の壁は分厚く、私の四方を囲んでいる。 つまり、立ち止まってしまった。迷い込んだ迷路の壁にぶつかったとでも言うのだろうか?しかし、迷路には、必ずゴールがある。 私の道には四方に分厚い壁、足下には何一つ残っていない。有るとすれば、虚無。果てしない真っ暗な闇。光が差し込んだとしても、決して晴れる事の無い闇。先ずは、この壁を乗り越えるか、破壊しなければ、私は前に進めないだろう。 道が閉ざされていようとも、壁を乗り越えなければ、話にならない。 そこで、思う。 私の心。 精神状態は、至極普通。 一般の生活状態には支障はない。 しかし、これはどこからくる基準なのか? 精神科で処方される薬のせいなのか、私の中から湧き出ているものなのか。 ふと思う。 もしかしたら、もう薬など要らないのでは? この病気は完治するものでは無いのだから、薬を飲まずとも、至極普通に生活は出来るのではないか? しかし、この考えはすぐに棄却される。 何故なら、薬を確実に服用している上での考えだから。一度、薬を勝手に止めた時があった。 結果は、簡単にわかってしまうだろうが、あえて言うならば、〇〇未遂だった。切って、切って、切って…これでもかって切って、何かがわかるならば最高点なのだろうが、何も生まれてはこなかった。 私には、何もないのだと思い知らされた。 生きてる意味。 それとは違う、何かが私に何もないのだと、このまま何の想いも抱く事が無いと、告げたのだ。 かろうじて、今生かされてるが、この先には何がある?何を得る?失ったものの対価は?得たものの対価は?私と言う生き物が、何故こんなにも空っぽなのか。 再度、問おう。 私はなぜ立ち止まり、なぜこんなにも不安定なのだろう? 答えはわかっている。 しかし、この答えは、あくまで薬を服用している場合に限る。 さぁ、皆様。 この答えを正しく導くための、方法・解答・助言… が何なのか、考えてみて下さい。 答えが正しければ、貴方は更に一歩前に、一段上に進めるでしょう。 01:26 コメント(0) [コメントを書く] <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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