ししブログ

2011年10月01日(土)
【隠し続けてきた】
自分で振り返ることをしなかったけれど、色々考えて書くことにしました。



きっかけはURAKARAのDVDを観ていたことです。ちょうどあの時、3.11東北沖地震があった時、URAKARAがあった日でした。私は仙台にいるお世話になった方への情報支援で、入りたくもないアメモバに入り、ネットサーフィンしてテレビを観て限りなく事実だと思う情報に目をつけてはメールで送信していました。
あの時頑張っていたのは、「自分に何が出来るか」解らず、やれることをしようと意気込んでたんでしょう。でなければ出来なかった。翌週のURAKARAは一番好きなニコルの回でした。地震から1週間は朝一からTVで情報収集にあたり、時間があればネット、アメモバ、2ちゃんねるとサーフィンし、夜中の放送終了時間までテレビの情報とサーフィンした情報をまとめ一通のメールで送ってました。1週間が経ち、URAKARA放送日を迎え、待ちに待ってた回を見逃すわけにはいかない気持ちでしたが、余震が酷く、流れないかと思ったけれど、時間がズレただけで放送はされました。画面には未だに見つからないと言う人の名前。避難所にいる名前。一番は放射能のトピック。それでも観れた事が活力になって、更に1週間同じ事をしました。だいぶ落ち着いたとの連絡をもらって、被災地の状況はどうなんだと思い「実際はどうなんですか?」と聞きました。
返ってきたメールで愕然とし、殺意が生まれました。私はこの時避難所にいる被災者も支援活動中の自衛隊にも、簡単に言えば被災者・支援者全ての人間に殺意を持ったんです。
そこで初めてテレビ報道の極端な報道を知りました。自宅避難者には物資の配給はない。来れるはずの避難所にも支援の手は届いてない。そんな報道をアッサリと流し、原発と行方不明者の捜索ばかり。確かに、「配給が出来ない所もある」と毎日一回はテレビで言ってたけど、現地の人にとっては「来れる場所なのに来ない」が正しい情報でした。避難所の格差も報道は詳しくしなかった。「1日4食おやつ付き。」が当たり前の所もあれば、「自宅避難者が自腹で避難食作って避難所に行く。1日おにぎり一個しか出来ない」。私の情報と自分達でやれる事を被災者にも関わらずやっている知人。私はいくら被災者で家も家族も亡くしてしまったとは言え、自分達だけ潤った生活をする避難者に怒りがわき、物資の配給のために動けと言っても放射能が怖くて行けないと言う物流業者にも怒り、「日本人の信条は何処にいったのか」と殺意に変わりました。歩けば潤った避難所。目と鼻の先には物資が来ない避難所。聞けば「担当じゃない」。臨機応変で動くのが自衛隊ではないのかと疑問に思
ったし、なぜ自宅避難者は支援されないのかと。制度が悪いのではなく、上の人間が自分の利益しか考えてないことが解りやすく露出してた。
2週間やり続けてきた結果がこの格差だったのが一番のやりきれないところでした。
私が集めた情報で数えるだけの人は助けられました。行方不明者や亡くなった方の心配もしました。毎日黙祷をしてからの情報収集。朝から夜中までやれることはやってました。



私の中で無責任な最低の言葉があります。
「頑張れ」
今回の事を振り返ってもう一つ出来ました。
「TVを信じるな」
それから、ゴミクズにも値しない人間を知りました。



ずっと隠してました。
「殺意」があったこと。
あの時それでも誰かのためにと思っていたけど、支援の格差がずっと心に残ってます。
今でも鮮明に。
潤った避難所生活者をしていた人は、失礼ながら「傲慢」です。自分の事で精一杯でも助け合おうと自身が放った言葉をそのままにしているのは人間として最低なんです。



私も最低な人間だけど、自分ばかり潤ってたら申し訳なくて精神がボロボロになります。
あの時の事を忘れる事はないでしょう。だって今までずっと蓋をして見ようとしなかったから。


23:41
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