ししブログ

2012年10月08日(月)
【過去の話】
センチメンタリズム!!
ガチで。


日常の会話で、最も母に注意しなければいけないのが「過去の話」です。謂わば「制限付き」とも言えます。私が、良き「思い出」と認識していても、母にとってはそれが鬼門。だから「ストレスの無い日常」は、私には永久に無いのです。私でさえ「捨て去りたい」頃の記憶は、話している内に思い出してしまいます。話の内容に関係のある「名前」ですら、母は嫌い拒絶します。たった一度しかない「社会人」の時の話すら母は聞きません。ならば、私は口を開かない方がいいのです。聞くだけ聞いて、相槌だけを求められてる日常で、正直疲れます。何度「自分の蒔いた種だから」と納得しなければいけないのか…。はっきり言って、全て私が悪いのは既に自覚しています。それを挽回など出来ないことも知っています。でも、話す内容に引き出してこなければいけない時に、「言っては駄目だ」「…言えない」と一々考えても、母は私がどう思うのか知らないのです。「言えなくて辛い」ではなく、「言えば拒絶される」が本心ですが…理解されない事だから、と言うつもりも起きません。
母に理解を求めるのが我が家では「無理なこと」なのです。「自分が正しい」「相手が悪い」と、極端な線を引いている母に、「あなたもこうなのだ」と根元をなした私が言えるわけないのです。何も言わせないと最初に言われて、どう返事をすればいいのか解りません。それでも姉がいたりする時は、溜めてた分を吐き出します。主に味付けや、家電でしかないけれど。本当の気持ちを理解しようともしない母に、私は心底同情し、死を願います。「居なければどんなに楽だろう」と、同情の意味と死を願う意味で思います。自分に当て嵌めても。「産んでくれてありがとう」など戯れ言です。通用しない関係が在るのだから。
日々私だけ過剰に気をつかって話さなきゃいけないのなら、私がいる意味は在るのか?とも思います。吐き出せる時に吐き出せず、決まった時と場合のみを強要される。それでも、「血を引いている」と思う瞬間がある事は、新しい発見であり残念でした。私から見た「母」は、きっと他人から見た「私」と同じでしょう。それは母もわかっているでしょう。でも受け入れないというだけで。



「生きている意味」とは、
誰かのためじゃなく、ましてや自分のためでもない、ただの「強制」ですよ。


22:13
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